争いごとを好まないのは、人間としての美質だ。だが眠っていてはいけない。おとなしく隷属すれば、平和がやってくると思ってはいけない。智慧ある者は、必ず正義に目覚めるものなのだ。


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●東南アジア・インド国民は日本国民への恩は決して忘れない

日本はアジアの母である。


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http://www.the-liberty.com/article.php?pageId=2&item_id=6092
2013.05.26

中国や韓国から「日本は侵略戦争をし、アジアに多大な迷惑をかけた」と言われ続け、日本人自身もそのような自虐史観を刷り込まれてきた。だが、本当にそうだろうか。公平な見方をし、日本人自身が誇りを取り戻すことが必要だ。そのための一つとして、アジアの要人たちの声を紹介しよう。
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<タイ>
東南アジア諸国が欧米と対等に話ができるのは日本のおかげだ。
 

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タイの戦後初の文民首相だったククリット・プラモード氏は、首相になる前にタイの日刊新聞「サイヤム・ラット」紙の主幹を務めた作家でもある。同紙上で1955年に「12月8日」と題した詩を載せた。



「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと育っている。


今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意された日である。


さらに8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々はこの二つの日を忘れてはならない」




アジア諸国のほとんどが欧米の植民地となる中で、タイは独立を保っていたが、日本が太平洋戦争を始めると日本と組み、米英と戦った。タイは今でもきわめて親日的な国だ。





<インドネシア>
独立戦争に命を捧げた日本兵たちを私達は生涯、忘れない。
 

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インドネシアでは、終戦後も日本軍将兵約2千人が祖国に帰らずにとどまり、インドネシア独立戦争に義勇軍として加わった。植民地支配を続けようとするオランダ・イギリス軍と戦い、日本兵400人以上が命を落としたが、4年半にわたる激戦の末に、インドネシアは350年間の植民地支配から独立を勝ち得た。



そのためインドネシアの人々は、日本に対して今も尊敬と感謝の念を持ち続けている。



「インドネシアが独立できた要素の第一は、日本軍が植民地政治体制を粉砕したことです。第二は、日本軍の猛烈な軍事訓練です。日本軍は大変立派なことをしてくれました。日本は、歴史に残ることをしてくれました。誰も変えることのできない真実です」アブドル・ハリス・ハスチオン(インドネシア元国防軍参謀総長)



「我々アジア・アフリカの有色民族はヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。


我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった」ブン・トモ(インドネシア元情報相)




インドネシアでは、毎年8月17日の独立記念日に盛大な記念祭が行われる。そのパレードでは、日本語の歌や日本を讃える歌を歌い、旧日本陸軍の扮装をした男性も加わってインドネシア国旗を掲揚する。


なぜ、日本軍将兵たちは独立戦争に加わり、命をこの国に捧げたのだろうか。日本軍はインドネシアに進駐してオランダ軍を蹴散らしたあと、現地の青年たちに軍事訓練をほどこし、その青年たちが独立戦争の中核となった。


そして自らもこの国のために命を捧げた。これは戦中の日本が「八紘一宇」「大東亜共栄圏」という理想を掲げ、アジアを白人の植民地支配から解放しようとしていたことの、何よりの証左だろう。


日本は第二次大戦を雄々しく戦い、アジアの国々を欧米の植民地から解放したのだ。その功績はアジアの人々が感謝し認めてくれている。私たちも名もなき英雄たちの霊に感謝し、日本人自らの手で歴史を検証し、「誇り」を取り戻すべきだろう。(仁)





日本はアジアの独立の恩人だった。

2013.05.27
http://www.the-liberty.com/article.php?pageId=2&item_id=6095


第二次大戦で日本が侵略戦争をしたとか、アジア諸国に多大な迷惑をかけたとか、日本人自身が「自虐史観」で自縄自縛になっているのは、どう見てもおかしい。アジア諸国は、欧米白人の植民地支配から独立できたのは「日本のおかげ」と言っている。昨日につづき、アジアの要人の言葉を紹介しよう。




<マレーシア>
日本軍に敗れた英軍を見て、私たちにもできると確信した。

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マレーシアで独立運動の指導者となったラジャー・ダト・ノンチック氏は、16歳の時、日本軍がマレー半島に上陸したというニュースをラジオ放送で聴き、胸が高鳴り、身体の震えが止まらなかったという。


「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。

しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです」



マレーシアも、長年の白人支配で苦汁をなめてきた。ところが、マレー半島に上陸した日本軍は、あっという間にイギリス軍を蹴散らし、難攻不落の要塞といわれたシンガポールをも陥落させてしまった。イギリスの誇る戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパルス」も撃沈させるほど、日本軍の強さは圧倒的だった。


この日本軍の戦いぶりを見て、「イギリスは怖くない」と知ったマレーシア人は、戦後の独立戦争を戦い抜いた。今、マレーシアは大発展し、日本人が「最も住みたい国」(ロングステイ財団の調査)となっているほど、両国の関係は良好だ。





<インド>
我々インド国民は日本国民への恩は決して忘れない。


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「太陽のひかりが、この地上を照らす限り、月の光がこの大地を潤す限り、インド国民は日本国民への恩は決して忘れない」


インド独立50年を祝って1997年に日比谷公園で式典が開催された際、インド最高裁判所のグランナース・レイキ氏はこう挨拶した。そして、こうも語った。「東條英機元首相はインド独立軍を指揮するチャンドラ・ボースに対する支援を命じた。これによって、イギリスの支配に最後の一撃を加えることができた。

多くの日本の青年が血を流すことによって、インドは独立した。日本よ、ありがとう


チャンドラ・ボースはインド独立運動の指導者として、インドではガンジー、ネールと並ぶ英雄である。東條はボースを支援し、ビルマから国境の山越えルートでインドへ侵攻する作戦を立てた。インド国民軍とともに日本軍9万を投入した。しかし補給が追いつかず、餓死者が続出、戦死者3万8千という日本の大敗北に終わった。これが悪名高き「インパール作戦」である。


だが、このインパール作戦こそ、インド独立の発火点となったというのだ。多大な犠牲を払ってインドを救おうとした日本軍の姿を見たインドの人々が立ち上がった。


終戦後、インド各地で独立運動が沸き起こり、1947年8月15日、インドは独立した。東京裁判でただ一人、

「日本の被告は全員無罪」を主張したパール判事は、独立前のインドから日本に送られ、きわめて公正な判断をしている。



日本人から見れば、あの戦争は多大な犠牲を払った上、敗れた無益で悲惨な戦争に見える。確かに戦争は悲惨であり、もう二度としたくないものだ。


だが、アジア諸国から見れば、先の大戦はまったく違うように見えている。日本は、辛酸をなめてきた白人支配を終わらせてくれた、アジアの「恩人」なのだ。


300万英霊の名誉回復をするためにも、「誇り」を取り戻せ、ニッポン。(仁)





<ミャンマー>
世界が亡ぶとも日本への感謝の気持ちは永久に亡びない。

2013.06.10
http://www.the-liberty.com/article.php?pageId=2&item_id=6153


日本人自らが「誇り」を取り戻すためには、自虐史観を葬り、真実の歴史を日本人の手で取り戻さねばならない。日本が先の大戦で戦ったおかげで、欧米の植民地だったアジアの国々が独立できたと、多くの国が日本に感謝しているのだ。今回はビルマ(現ミャンマー)を見てみよう。

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ビルマは1886年からイギリスの植民地だった。1930年代から独立運動が活発になり、日本陸軍は1940年、独立運動支援のための特務機関「南機関」を創り、アウン・サンら30人の若者を日本に招いて軍事訓練を施した。この時の30人は「三十人志士」と呼ばれた。


41年12月、太平洋戦争が始まると、三十人志士はタイに渡り「ビルマ独立義勇軍」を結成。日本軍がビルマに進攻するや、義勇軍は日本軍とともに英国軍と戦い、次々と志願兵を募った。英国軍は日本軍に圧倒され、敗走を続け、42年5月には日本軍はビルマ全土を制圧した。


だが、日本軍はビルマの独立をすぐには認めなかったため、アウン・サンは不満を持った。そこで南機関のトップだった鈴木敬司大佐に掛け合った。大佐は「もし俺がお前の立場だったら、手に入りかけた独立を絶対に逃がしはせんぞ。まず俺を殺せ。それから独立の戦いをやれ」と言い放つ。アウン・サンは恩人を前に「大佐がビルマにいる限りは反旗は翻さない」と誓った。


その後、鈴木大佐はビルマの治安回復に全力を挙げ、ビルマ海軍の創設にも尽力した。しかし6月末、軍令部と激しく対立していた大佐は東京への異動を命じられる。事実上の更迭だった。


翌43年8月1日、ビルマは独立宣言をし、アウン・サンも国防相に就任した。しかし、戦局は次第に日本に不利となり、敗色濃厚となっていく。その中で、アウン・サンは決断を迫られた。このまま日本軍とともに倒れるか、それとも英国軍と通じて独立を貫くか――。



結果、45年3月から反日蜂起がビルマ各地で起きた。ビルマの独立維持のためのアウン・サンの苦渋の選択だった。独立後、首相の座にあったバー・モウは日本への支持を貫き、戦後、連合軍に逮捕された。志士の一人ミン・オンは「日本を裏切ることは恩義に欠ける」と自決した。


終戦後、戻ってきた英国軍はビルマの独立を反故にし、植民地に戻そうとした。だが日本軍が育てたビルマ独立義勇軍10万が立ちはだかり、戦うことも辞さない覚悟を見せるアウン・サンの前に、やむなく独立承認に傾いた。


だが、アウン・サンは祖国の完全独立の日を見ることなく、47年7月、テロリストの凶弾に倒れる。32歳の若さだった。


その半年後の48年1月、ついにビルマは英国領からの独立を勝ち取った。政界に復帰したバー・モウは後にこう語っている。


「真実のビルマ独立宣言は、1948年1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真実のビルマ解放者は、アトリー氏とその率いる労働党政府でなく、東條大将と大日本帝国政府であった」

「日本が無数の植民地の人々の解放に果たした役割は、いかなることをもってしても抹消することはできないのである」




アウン・サンも日本への恩義を決して忘れていなかった。鈴木大佐が戦後、BC級戦犯に問われた際に、「ビルマ独立の恩人を裁判にかけるとは何事か!」と猛反対し、釈放させている。


そして、鈴木大佐がビルマから去る時に、アウン・サンらから手渡された感謝状が、今も鈴木大佐の遺族のもとにある。


「われらは、ビルマ独立軍の父、ビルマ独立軍の庇護者、ビルマ独立軍の恩人を末永く懐かしむ。将軍のビルマ国への貢献も、いつまでも感謝される。たとえ世界が亡ぶとも、われらの感謝の気持ちが亡ぶことはない」


アウン・サンがこの世を去る時に2歳だった長女が、アウン・サン・スーチー女史である。彼女は父の遺志を受け継ぎ、民主化運動の指導者となった。


今もミャンマーでは3月27日の国軍記念日になると、全国のミャンマー国軍が首都ヤンゴンに集まり盛大なパレードをする。


このパレードでは「軍艦マーチ」に始まり、「愛馬進軍歌」など戦時中の日本の軍歌が次々と流れるという。


ミャンマーの人々は日本への恩をずっと忘れていないのだ。(仁)




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by cosmic_tree | 2013-06-12 00:24 | 日本の過去・現在・未来!